1946年発表「第二芸術 ―現代俳句について―」は桑原武夫(当時42歳)の独りよがりだった?

以下はWIKIからの引用ですが・・・

桑原武夫は1946年11月に雑誌「世界」上で次のように主張しています。:

俳句という形式は現代の人生を表しえないなどとして、俳句を「第二芸術」として他の芸術と区別するべき」・・・と論じたものであり、当時の俳壇に大きな論争を引き起こした(第二芸術論争)。

この論文では桑原はまず作者名を伏せたうえで、大家の作品のなかに無名の作者のものを混ぜた15の俳句作品を並べ、作品からは素人と大家の優劣をつけることができないとする。ここから俳句においては大家の価値はその党派性によって決められるものであるとして批判し、また近代化している現実の人生はもはや俳句という形式には盛り込みえず、「老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしい」ものとして、強いて芸術の名を使うのであれば「第二芸術」として区別し、学校教育からは締め出すべきだという結論を導き出している。

(引用終了)

桑原 武夫:(くわばら たけお、1904年明治37年〉5月10日 - 1988年昭和63年〉4月10日)は、日本フランス文学・文化研究者、評論家京都大学名誉教授。日本芸術院会員、文化功労者文化勲章受章者。位階勲等従三位勲一等

これは大騒ぎになりますね。今風に言えば「大炎上」したことでしょう。

その後の推移は、言い出した桑原が俳句界からの大反論にほとんど反応しないまま自然消滅となったそうですが、年月が経ってから桑原が自論について、若干の軌道修正をしたそうです。

その当時の「現代俳句」をやり玉に挙げて、古典的な俳句についての論説ではなかったのでしょうか?  小生がここのところ、近現代史を読んでいて、特に戦後すぐのところで、こんな記述を見たので、記事に取り入れてみました。

画は毎日の生活の中で、身近に接したものを並べます。

4日の居待月 ↓



5日の寝待月 ↓
このあとは天気が悪かったり、時間が合わず見ていない。

爽やかな空と風に誘われて、山岳景観を期待しつつ、付近の高楼に上ってみた。

本日(5/09日)の恵那山 ↓
残念ながら霞んでいて、遠くの高山は、これ以外全く見えていなかった。

下りの新幹線 ↓
やむなく下りの新幹線を見て、高楼を下りた。

折角の外出なのであたりを周回してみることにした。


アカバナユウゲショウ ↓


ツボミオオバコ ↓


シャリンバイ ↓


シロツメクサ ↓


ガーベラ ↓


アマリリス ↓


ナワシロイチゴ ↓


在来線駅と新幹線駅を繋ぐ通路 ↓
三河安城駅の連絡通路です。凹凸(傾斜)があって不思議な空間ですね。

新幹線の三河安城駅 ↓


コメント

  1. 縄文人。

    第二芸術 ―現代俳句について―」は桑原武夫について私なりの意見を少し書いてみました。

    桑原氏は、
    • 俳句は短すぎて、現代的な思想や複雑な感情を表現するには不向きである
    • 俳人の名前を隠して並べると、名人の句と無名の句の区別がつかない程度の「小さな表現」である
    • 作品そのものより、結社や師弟関係など「俳壇」の人間関係で価値が決まっていると批判
    • したがって俳句は小説や近代詩などの「第一芸術」に比べて、一段劣る「第二芸術」にすぎないと位置づけた。

    「近代的な本格的文化としては、格下げだ」と俳句の評価を見下としたということらしい。
    その為に、多くの俳人や関係者から、関心を呼んだようです。我々のような無学な人であっても、近代的なフランス文学と俳句を同列に並べて議論することにかなり無理があるようで成らない。

    俳句は五七五、原則十七音という極端に短い定型の文学です。
    この「短さ」ゆえに、余計な説明や感情を削ぎ落とし、本当に伝えたい一点だけを残す引き算の創作によって成立します。
    わずかな言葉で情景と感情を同時に立ち上げる、その凝縮の度合いは、かえって短詩形式だと評価されています。

    俳句は伝統的に季語を伴い、四季の移ろいや自然の手触りを通して、人生観や心の揺れを映し出します。
    単に「自然を詠む」のではなく、季節の一点の描写する、自然観察の文学としての深さがあります

    従って桑原武夫氏の言う
    ○前述の、俳句は短すぎて、思想や複雑な事柄を表現することは不向きである。等の4点についてはそれなりに言い得ているでありましょう。これらの事柄も納得させられる部分が多くあります。

    最初に述べた通り「フランス文学と俳句を同列に並べて考えた」此処に大きな無理がある。

    俳句は、江戸時代の3人の俳諧スターのあとに、彗星のごとく登場したのが、明治時代の正岡子規によって多くの発展を遂げた。 ここから「俳諧の発句」は「俳句」と呼び多くの人達によって育まれ発展してきた、日本独特の文化であり5・7・5と長文のフラン文学と同列に考えたことの論点に無理がある。、俳句は剃り落とし、削った文学で日本独特のものとして考えることが懸命であろう。

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    1. 縄文人様 ご訪問いただきましてありがとうございます。
      素晴らしい所感を頂きまして感激です。桑原さんはこの評論を発表当時は40歳代だったと思います。若気のイタチ(いたり=至り)にもなり得ない。大変お粗末な独りよがりそのもののような気がします。なにか上から目線の勘違い野郎なだけの印象しかないですね。終戦直後の混沌という背景も加味して斟酌してやるしかないですね。
      おフランス文学と比べるその物差しをへし折ってやりたいです。どちらもあれはあれで、これはこれですから。それぞれに存在価値がありますよね。
      でも、俳句の世界も面白いですね。鼻持ちならないような人が、心に突き刺さるような句作をしたり(尾崎放哉)、乞食坊主が結構センスあったり(種田山頭火)するのですから。小生は5・7・5の定型にはこだわらない、ホトトギスのような季語の縛りからも解き放たれた・・・俳句でないような俳句的な表現様式にも興味があります。

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